平成の思い出 [私のおしゃべり]

あと少しで平成から令和に変わりますね


私の人生で平成の間に一番大きかったことが
前記事で 書いた友達の事です


私は運動とは程遠い人間で ほとんど運動らしい運動を
したことが有りませんでした
ボール競技は全くダメ 泳げないし 走れない!


友達になったきっかけはスポーツジムで知り合い話すようになったのです
友達は既に マラソンのレースに何度も出ていました


「凄いね 長い距離走って レースも出られるなんて! スゴイね」
「だれでも出来るよ!やってみたら?」
こんな会話が発端でした


「無理 無理 絶対無理だよ!」
「そんなことないよ メニューを作ってあげるからやってみようよ」


こんな会話から始まりました
その時はもちろん レースに出られるなんて 夢にも思いませんでした


メニューは 最初は ゆっくり歩き 走る
それも走るカッコで スピードは歩く速度で良い


慣れてきたら 少しづつ 走るのを多くする
無理だと思ったら また戻っても良い
とにかく無理しない


平日は仕事終わりに 週末は 午前中
少しづつ 走る時間を長くしていると
何となく自信が着き 30分連続走れるようになり
そのうち 1時間走れるようになりました


運動が全く出来なかった私は嬉しくて夢中になりました
そして走るのが楽しくくなりました


同じ場所を走っているのはつまらないから 週末になると
車に乗ってあちこち 走れる場所を探し 走り
終わったら 必ず ランチタイム


そんな日が続いたら今度は
「5キロのレースに出てみない?」と言われました
「レース・・・・・」

「別にタイムなんか気にしなくてもいいよ!楽しめばいいよ」


そうだ! 楽しめば良いのだ!と言う心が芽生えました


そして いよいよ 5キロマラソンにエントリー
皇居マラソンに出る事になりました


初めての皇居マラソンは 思ったほど楽ではありませんでしたが
ゴールが近づくにつれ テンションが上がり頑張れました


そして レースが終わって ゴールに入った瞬間
私は 人生で初めてと言う位の感動をしたのです
それは達成感と喜びでした


もちろん皇居マラソンの後は 浅草に行ってみようと言う事で
浅草に行って ビールで乾杯 天ぷらを食べたかな(笑)
この時のビールは 最高!!


走るだけでなく 必ず楽しみもあるのです


ハーフマラソン 10キロマラソン等含めると 27位のレースに参加しました
走るのが遅いので メジャーなレースには出れないので
少し離れた所や 時間制限が緩い所に出ました


レースが終わると寒い時はトン汁や お汁粉
季節によって 場所によって レース会場の産地の果物が用意されてます
お土産にはTシャツや タオル 飲物等々
全く知らない人でも一緒に走った人とはなぜか会話が弾みます


走るのが遅いから最後になるかとも思っていたのですが
無理しないで走るので なぜか後半タイムが落ちず
最後になったことはありません


ゴールが近づくと タイムアップが出来
何人か抜けるのも 嬉しかったです


私のマラソンスクラップは今も保管してあります
エントリーした案内状から ナンバー そして結果表など


これが初めてのメニューです
このメニューをこなすことから始まりました


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この間 ズ~と一緒に練習をした友達です
私の出るレースにも一緒に参加してくれました
その時は ズ~と前にゴールをしていて 私を迎えてくれます


そして あちこちでの思い出も作ってくれた友達です
物事の結果のみを重視しないで 楽しむこと
なんでも結果だけではないことも気づかせてくれました
平成の中で一番占める範囲が多いのがこの共有した時間です


もうすぐ令和になろうとしています
友達との友情は消えるわけはありませんが 残念ながら
大分前から 私は 諸事情で レースには出れなくなりました


今は ちょっと不完全燃焼な気持ちがあるのですが・・・
走るのがダメだから歩くと言う手があるので(^◇^)
街散策をしています


友達は今でも メジャーなレースに出ています


全く運動には縁が無かった私

汗を書く喜びも知らなかった私

そんな私の人生を変えてくれた友達です


たまに 「今からでも遅くないから もう一度走ってみない」
と言われますが・・・・・・(笑)(^◇^)
私はもう絶対無理だよ 心の中でつぶやいています

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